高次の自分と繋がる―その2 自分を信じる

エゴの囁きにご用心!1  感情の器―エゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

高次の自分と繋がる―エゴの囁きにご用心! 4

自分を信じることが出来た時、光が見える

青い静謐な森の中に佇む一頭の白馬。

おそらく誰でも知っている東山魁夷画伯の代表的な絵である。

言わずもがな、国民的画家として皇居や唐招提寺など数々の大きな仕事を成し遂げた大作家である。

新国立美術館での今回の展覧会では、白馬などの代表的な作品に加えて、唐招提寺の襖絵が再現されていて圧巻だった。

特に、「山雲」はちょっと言葉では言い表せない。

気がつくと自分がその風景のなかにいた。

とにかく凄い。

人の仕事をはるかに超えたものがあった。私はそう感じた、とだけ言っておく。

是非一度ご覧になって下さい。

 

信じられないことだが、しかしご本人は70代になるまで自分は才能がない、と思っていたことを知った。ええっ⁈あの東山魁夷でさえ⁉

唐招提寺の襖絵の仕事をして、絵は上手い下手は関係ない、と。そこにどれだけ心を籠められるかどうかが大事なのだ、ということが分かった。それならば、自分が絵を描くということにも意味があるだろう、と気がついた、と。

それを知って、私は感動した。

あの東山画伯でさえ、そうだったのだ、という事実。

自分を信じる、ことはあの大作家をしても長いこと簡単なことではなかったのだ。

 

パステルはこれまであまり使ったことがなかった。

でも、色が画面上で混ざっていく感じがいいな、結構好きだな、と思った。

上手く描こうと思うな、と描きながら私は自分に言い聞かせた。

誰のためでもない、売ったりするためでもない、作品を作っているわけでもない。

形にしようとするな。

ただ心を空っぽにして指を使って色を混ぜることに集中した。

それでも気がつくと、バランスを取ろうとしている。

何も考えるな。色を混ぜることに集中する。

 

突然あの声が聞こえた。

「そんなことしたって何にもならない」

「アーティストなんて格好つけてるんじゃない」

 

でも、私は負けなかった。

「そんなこと、言いたかったら勝手に言えばいい」

「もうそんな声は聴かない」

 

「でも今まで守っていてくれたんだよね、ありがとう。私はもう一人で大丈夫だから」

 

そう言いながら描き続けた。

そしたら身体がすごく熱くなって、熱い涙が出てきた。

そうやって泣きながら描き続けた。

ハイアーセルフ(高次の自分)と繋がってる、と感じた。

 

ああ、これでいいんだな。

私、エゴに負けなかったよ。ふとした時にこうやって出てくるんだねえ~。

 

自分を信じることが出来た時、光が見える。

 

今日、この体験をした自分をすごく褒めてあげたい。

もしかしたらこの先、同じ道を通る誰かの励みになるといいな、と思って書いて残しておくことにします。

 

今日も読んで下さってありがとうございます。

高次の自分と繋がる―エゴの囁きにご用心! 4

エゴについてのシリーズその4。

エゴの囁きにご用心!1   感情の器ーエゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

エゴのシリーズは3で終わりにするつもりだった。

なのに、昨日それに取組む機会が急に訪れた。だからそのことを書く。

なんと、中森じゅあん先生の公開デモンストレーションワークに指名されるという機会を与えられたのだ!

びっくり‼そしてその後ご一緒にお食事までさせて頂くことになるなんて、全く想像もしていなかった。人生って面白いなあ~、と思う。

仕組まれてそうなるように導かれたとしか思えない。愛を感じる。

指名された時、何を聞きたかったのか忘れてしどろもどろになりながら、違う!こんなこと聞きたいんじゃないって思った瞬間、自分でも思ってもみなかった核心的な質問をしてた。

じゅあん先生は「ちょっとこちらに、前にいらっしゃい。」と仰って、大勢の人の前での公開セッションが始まったのだ。

とってもパーソナルな、だけどつまるところは自分を信じる、という根源的なことだったのでそこに居合わせた人みんなに共通のことだったと思う。

じゅあん先生のお話は、さっくり言うと、感じることをしないで思考判断だけに従って生きていたら苦しいし、ハイアーセルフ(高次の自分)と繋がれないから宇宙も助けることが出来ないよ、もっと感じることをして、というようなものだった。

ここで難しいのは、起こったいろんな出来事や人に対してどう感じるか、という時に、嫌な感じ、苦しい、不安、イライラする・・などというのは、感じてるんじゃなくて思考なんだっていうこと。

セッション中、何度も「考えないで、感じて」と言われた。

えっ⁉どういうこと⁉感じてるけど。これは思考なの?どう違うの?ってなる。

これは結構難しい。練習が必要だ。

セッション中の内容は省略するけど、自分の中にある不安や恐れというエゴが、黒々として硬くて重い塊として胸の中にあるのを、私ははっきりと感じた。それは長いことずっとそこにあって、私が自由に本当にやりたいことをやったり、危ないことをして道を外さないように見張ってた。

それはイコール危ない目に合わないように私を守っていたとも言える。だからエゴは決して悪いものではない、と先生は仰った。

だけど・・それがいると、窮屈で苦しい私。

どうしたい?どうして欲しい?

自分の全てをジャッジせずに温かく見守っている愛ある高次の自分として尋ねる。

 

もう大丈夫、一人で歩いて行ける。

今まで守ってくれてありがとう。

黒い塊に私の中から出てもらって。

私は私のアートをやっていく。

 

そう言ったら、ハイアーセルフが喜んだ。そして自然に温かい涙が溢れた。

高次の自分と繋がるというのは自分を信じることだ。

いつでもきっとそれが一番難しい。

 

よく頑張りました、と先生は言って下さった。

オメデトウ。

意識が変わったからエネルギーが変わったよ、と。

えっ?これでいいの?

そうか、気がついたから意識が変わってエネルギーが変わる、っていうことなんだね。

そこがよく分からなかった。

そして更に気づいたこと。求めたら与えられた。自動的に。

今までだって、アートに関してはいつだって与えられてきてた。

いつだってゴーサインは出ていたんだ。否定し続けてきていたのは自分だ。

 

すぐに、でもどうやって?と考えちゃう自分もいるけど、

これで行くと、いう意志を持って、

これでいいのだ~‼、と肯定して、

歩いて行く。

祝福をありがとう。

 

じゅあん先生、あの時間を共有してくださった会場の皆様に、ありがとうございました。

 

読んで下さってありがとうございます。

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

エゴについてのシリーズその3。

エゴの囁きにご用心!1  感情の器ーエゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

「内庭~Primavera」あるがままの自分を受容する。

人は想像出来る現実を創造する。想像出来る現実しか創造出来ない、とも言える。

これはお金についてもそう。

当たり前でしょ、って思うかもしれないけど、結局人は自分が見たい現実を生きてるってことで。

ちなみにエンリケ・バリオスさんの「マラビージャ―魂の恋人」は、その辺のところを分かりやすく面白可笑しい物語として書いた名著だ。言わずもがな「アミ小さな宇宙人」シリーズの作者でもある。

だから要は、自分次第なんだよ、っていう話。

え~!違う、こんな辛いこと経験したいなんて思ってないもん!って言うかもしれない。

ワタシモソウオモッテタ。

デモ、ドウヤラソウラシイ。

 

そして人は、経験した範囲でしか物事を想像することが出来ない。

自分はそれを受け取るに値する、と何の疑いもなく心から信じている人は、難なくそれを手に入れる。

そこには何の努力も苦労も要らない。

そしてどうやら、そういう人の周りにいる人にもそれはもたらされる、ということを発見した!すごくない⁉ 伝染するんだよ~。(これは実験する価値あり、と思ってる。)

こないだそういう人を知った。

日がな一日、一見ただ遊んでいるようにしか見えない。嫌なことは一切やらない。

自分の望みに対してとっても忠実で我儘だ。まさしくヒメ!

豊かな富(お金やお金でないものも)を受け取っているのだ。彼女のパートナーは彼女と暮らすようになって以来、それまでにないくらい豊かさを享受しているそうだ。

本人は自分の存在、行動に対してこれでいいのだ~!!と心の底から思っていて1ミリも疑っていない。恐らくそこがポイント。

あるがまま、だ。

だって、え?何で疑う必要があるの?

ない、んだよね、本来。みんなそのまんまでいいし、ジャッジする必要もない。

 

でも、私達のまだ多くは、っていうか私はまだ、100パーセントそう思い切れていない、から。エゴの囁きに囚われてしまう、のだよなあ~。

それではダメ、こうすべき・・・などと言われ続けて育ってきた私(達)は、それが呪縛となって、素直に丸ごとの自分をあるがままで良しとし、何であれ宇宙がもたらす最良のモノコトに値するのだ、ということに自らブロックをかけてしまうから。

でも、もうそんな時代じゃないんだよー。ねえ~。

 

キーワードは、これでいいのだ~!!

 

毎瞬毎瞬、エゴの囁きが聞こえてきたらそう言い続けるのだ。

呪縛を解くおまじないのように。

 

これでいいのだ~!!

言ってみるとハートの辺りがなんかワクワクしない?

 

読んで下さってありがとうございます。

感情の器―その2

エゴについてのシリーズ。

エゴの囁きにご用心! 1  感情の器ーエゴの囁きにご用心! 2

今日は、3に行く前に、感情の器その2。

感情の器をたくさん用意して。

孤独や絶望。

恐れ、不安、怒り。

嫉妬も、罪悪感も、自己嫌悪も。

心が揺れる。

それは生きている証。今、この瞬間。

ただ感じて味わって。

そして手放す。

リリース、そして委ねる。感情の器へ。

 

感情の器。

出ていくものと入ってくるもの。

それはゆりかごであり、棺でもある。

それは舟。

記憶と歴史が刻まれた、私の秘密。

時空を超えた、私のすべてを受け止め、宇宙という広い大海を往く。

 

読んで下さってありがとうございます。

感情の器ーエゴの囁きにご用心!2

昨日エゴという名の幻しについて書いた。エゴの囁きにご用心!ー 1

そう、それは幻なのだ。幻想、実体はない。

なのに、簡単に惑わされてそれが自分の本質だと思い込むから厄介なのだ。

だから、良い悪いの判断をせずに客観的であることが大事になってくる。簡単ではないけど、ね。

これは全部繋がってくるから記事も前回からシリーズものになるよ。

今年の4月だったと思う、アトリエYSを主宰されておられる吉田エリさんのカウンセリングを受けた時、感情の器ということを教わった。

その時の覚書をここで改めて書くことした。長くなるけどお付き合いください。

ベン・マイケルセンの「スピリットベアにふれた島」(Ben Mickaelsen ‘Touching Spirit Bear’ )。

偶然目にして手に取ったのは、アトリエYSのワークショップ「Inner ChildからWonder Childへ」に参加した直後のことだった。

父親による長年の虐待、母親によるニグレクト。両親に愛されていないという孤独と恐怖、劣等感、人生に対する無力感と絶望のなかで生きていた15歳の少年ベン。

それらの感情が強大な怒りという生き物になった時、少年は自分の感情をコントールすることが出来ない。そしてそのせいである日、クラスメートに障害が残るような大怪我をさせてしまうのだ。

ベンは、ネイティブアメリカンの知恵であるサークルジャスティス(Circle Justice)という手法で裁きを受け、ビジョンクエストを通して自分と向き合い変わろうとする、深い魂の救済の物語である。

感情は自分自身そのものではない。私達の多くはそこを勘違いする。

でも、ワークショップに参加し、気づいた。

感情は私の一部ではあるけれど、私自身ではない。

感情はただ単に起こるもの、湧いてくるもの。それだけ。感情に良いも悪いもない。

自然に起こるもの。

感情そのものはただの感じ方のバリエーションにすぎない。

だからネガティブな感情を持ったからといって自分を責めることなんかないのだ。

 

感情はただ起こり、私の一部ではあるけど私の本質ではない。

 

客観的であるというのは、感情を感じてはいるけどそれが自分の本質とイコールではないので切り離して考える、という状態だ。ややこしいけど。

 

感情に囚われ落ち込んで、自分を責め無気力になる、というループに陥るのが私の長い間のお決まりのパターンだった。

分かってはいても、いろんなことを試してみてもそこからなかなか抜け出せなかった。

 

感情をただ感じてるなあ、と味わって認めたら、それを入れる入れ物・器をつくってイメージでそこにただ流す、ことを教わった。

そう簡単なことではないけれど、囚われると厄介なものだからこそ、客観的でいられたらずっと楽になる。

 

変化にも進化にも、時間がかかる。

だから諦めないで何度転んでも、何度でもまた立ち上がってそこから始めればいいよ。ね!

 

読んで下さってありがとうございます。