労い、称え、癒す

上京した両親と過ごした少し前の週末。

二人とも年老いたなあという感慨。

手の節くれが目立つようになった母が、もう入らなくなったから、と指輪をくれた。

ふっくらとしていた母の手。

自分のことより、いつだって家族や人のためによく働いてきた手。

長い長い間、休むことなく

がむしゃらに働いてきたその手や腕が

自ら語ることはしないが

使われすぎて疲れ切って

こっそりと悲鳴を上げていた。

 

私達の豊かさは、父母たちの、そのまた先代たちの頑張りのおかげだから。

 

今、彼らに必要なのは癒されること。

労い、称え、癒してあげること。

 

親と子の立場がすっかり逆転する時期が、間もなくやって来る。

 

これからは、臆することなく、両親に対してそういう機会をつくろう、と思った。

 

年の暮れの里帰り。

そんな時間を持つには、よい時節に今年もなりました。

自分を癒すということは

自分の内側と取組んでいる。覚悟を持って。

そっちの方が外側を色々いじるよりよっぽど大事!と気づいたから。

現実は心の中の現れだ、という意味が前より分かる。

 

自分で出来ないところは人の助けを借りて。

今、今回やらなければいけない。

それは自分のことであると同時に、自分のためだけではない。

過去生の自分の魂、ご先祖様や広い意味で昇華できずにくすぶっている霊たちの思いを一緒に。

自分を癒す、ということはそういうことだ、と突然気づいたから。

 

アートを通して表現している時、なんでもいい、ダンスでも歌でも。

ハートが感じて自然に涙がこぼれる時、私という身体を通して昇華されているという実感があった。

そうであるならば、私がアートで表現する意味もある、と言える。

目に見えないことだけれど、今それをするのは、とても大事なことだと思っている。

 

読んで下さってありがとうございます。

切り紙と癒し

「最近やっと教えてもらった切り紙を試して作る時間が出来たんです。」と教えてくれた人がいる。

この数か月職場の人が次々と退職しその引継ぎに追われていたため、全く余裕のない生活をしていたと言う。

「切り紙してると癒されるんですよね~、ほんと楽しいです。」と彼女は言った。

そうなのだ。

切り紙をする行為は、一種の瞑想のような効果をもたらす、と常々私自身は思っていたし、これまで過去記事にも書いてきた。→こちら。

それは、ワークショップに参加している人たちの様子から実感を持って感じてきたことだ。

年齢も人種も関係なしに。

そして、切り紙の更に面白いところは、手を動かしているうちにひとつのかたちが次の新しいかたちを生む、というように、どんどんアイディアが湧いてくるところだ。

しかも色の組合せでさらにそれは無限だ。

ああ~、この癒しの効果と創造性の開花をたくさんの人に体験してもらえたらなあ~。絶対に、ビジネスの世界でも役に立つと思うんだけどな。

でも今日、ひとりの人が切り紙をして癒されたのは、切り紙を通してきっと自分と対話できたからなんじゃないかな。

彼女の言ってくれた一言は、私をあったかくしてくれた。

読んで下さってありがとうございます。

 

切り紙WS「花のポップアップカードをつくろう」

11/3(土)13~15時 @杉並区立阿佐谷図書館

*切り画作品の展示日程が変更なりました。

10/28(日)~11/9(金)@同阿佐谷図書館内