mayumi arakawa の紹介

Book & Paper Artist ブック&ペーパーアーティスト

労い、称え、癒す

上京した両親と過ごした少し前の週末。

二人とも年老いたなあという感慨。

手の節くれが目立つようになった母が、もう入らなくなったから、と指輪をくれた。

ふっくらとしていた母の手。

自分のことより、いつだって家族や人のためによく働いてきた手。

長い長い間、休むことなく

がむしゃらに働いてきたその手や腕が

自ら語ることはしないが

使われすぎて疲れ切って

こっそりと悲鳴を上げていた。

 

私達の豊かさは、父母たちの、そのまた先代たちの頑張りのおかげだから。

 

今、彼らに必要なのは癒されること。

労い、称え、癒してあげること。

 

親と子の立場がすっかり逆転する時期が、間もなくやって来る。

 

これからは、臆することなく、両親に対してそういう機会をつくろう、と思った。

 

年の暮れの里帰り。

そんな時間を持つには、よい時節に今年もなりました。

自分を癒すということは

自分の内側と取組んでいる。覚悟を持って。

そっちの方が外側を色々いじるよりよっぽど大事!と気づいたから。

現実は心の中の現れだ、という意味が前より分かる。

 

自分で出来ないところは人の助けを借りて。

今、今回やらなければいけない。

それは自分のことであると同時に、自分のためだけではない。

過去生の自分の魂、ご先祖様や広い意味で昇華できずにくすぶっている霊たちの思いを一緒に。

自分を癒す、ということはそういうことだ、と突然気づいたから。

 

アートを通して表現している時、なんでもいい、ダンスでも歌でも。

ハートが感じて自然に涙がこぼれる時、私という身体を通して昇華されているという実感があった。

そうであるならば、私がアートで表現する意味もある、と言える。

目に見えないことだけれど、今それをするのは、とても大事なことだと思っている。

 

読んで下さってありがとうございます。

高次の自分と繋がる―その2 自分を信じる

エゴの囁きにご用心!1  感情の器―エゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

高次の自分と繋がる―エゴの囁きにご用心! 4

自分を信じることが出来た時、光が見える

青い静謐な森の中に佇む一頭の白馬。

おそらく誰でも知っている東山魁夷画伯の代表的な絵である。

言わずもがな、国民的画家として皇居や唐招提寺など数々の大きな仕事を成し遂げた大作家である。

新国立美術館での今回の展覧会では、白馬などの代表的な作品に加えて、唐招提寺の襖絵が再現されていて圧巻だった。

特に、「山雲」はちょっと言葉では言い表せない。

気がつくと自分がその風景のなかにいた。

とにかく凄い。

人の仕事をはるかに超えたものがあった。私はそう感じた、とだけ言っておく。

是非一度ご覧になって下さい。

 

信じられないことだが、しかしご本人は70代になるまで自分は才能がない、と思っていたことを知った。ええっ⁈あの東山魁夷でさえ⁉

唐招提寺の襖絵の仕事をして、絵は上手い下手は関係ない、と。そこにどれだけ心を籠められるかどうかが大事なのだ、ということが分かった。それならば、自分が絵を描くということにも意味があるだろう、と気がついた、と。

それを知って、私は感動した。

あの東山画伯でさえ、そうだったのだ、という事実。

自分を信じる、ことはあの大作家をしても長いこと簡単なことではなかったのだ。

 

パステルはこれまであまり使ったことがなかった。

でも、色が画面上で混ざっていく感じがいいな、結構好きだな、と思った。

上手く描こうと思うな、と描きながら私は自分に言い聞かせた。

誰のためでもない、売ったりするためでもない、作品を作っているわけでもない。

形にしようとするな。

ただ心を空っぽにして指を使って色を混ぜることに集中した。

それでも気がつくと、バランスを取ろうとしている。

何も考えるな。色を混ぜることに集中する。

 

突然あの声が聞こえた。

「そんなことしたって何にもならない」

「アーティストなんて格好つけてるんじゃない」

 

でも、私は負けなかった。

「そんなこと、言いたかったら勝手に言えばいい」

「もうそんな声は聴かない」

 

「でも今まで守っていてくれたんだよね、ありがとう。私はもう一人で大丈夫だから」

 

そう言いながら描き続けた。

そしたら身体がすごく熱くなって、熱い涙が出てきた。

そうやって泣きながら描き続けた。

ハイアーセルフ(高次の自分)と繋がってる、と感じた。

 

ああ、これでいいんだな。

私、エゴに負けなかったよ。ふとした時にこうやって出てくるんだねえ~。

 

自分を信じることが出来た時、光が見える。

 

今日、この体験をした自分をすごく褒めてあげたい。

もしかしたらこの先、同じ道を通る誰かの励みになるといいな、と思って書いて残しておくことにします。

 

今日も読んで下さってありがとうございます。

高次の自分と繋がる―エゴの囁きにご用心! 4

エゴについてのシリーズその4。

エゴの囁きにご用心!1   感情の器ーエゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

エゴのシリーズは3で終わりにするつもりだった。

なのに、昨日それに取組む機会が急に訪れた。だからそのことを書く。

なんと、中森じゅあん先生の公開デモンストレーションワークに指名されるという機会を与えられたのだ!

びっくり‼そしてその後ご一緒にお食事までさせて頂くことになるなんて、全く想像もしていなかった。人生って面白いなあ~、と思う。

仕組まれてそうなるように導かれたとしか思えない。愛を感じる。

指名された時、何を聞きたかったのか忘れてしどろもどろになりながら、違う!こんなこと聞きたいんじゃないって思った瞬間、自分でも思ってもみなかった核心的な質問をしてた。

じゅあん先生は「ちょっとこちらに、前にいらっしゃい。」と仰って、大勢の人の前での公開セッションが始まったのだ。

とってもパーソナルな、だけどつまるところは自分を信じる、という根源的なことだったのでそこに居合わせた人みんなに共通のことだったと思う。

じゅあん先生のお話は、さっくり言うと、感じることをしないで思考判断だけに従って生きていたら苦しいし、ハイアーセルフ(高次の自分)と繋がれないから宇宙も助けることが出来ないよ、もっと感じることをして、というようなものだった。

ここで難しいのは、起こったいろんな出来事や人に対してどう感じるか、という時に、嫌な感じ、苦しい、不安、イライラする・・などというのは、感じてるんじゃなくて思考なんだっていうこと。

セッション中、何度も「考えないで、感じて」と言われた。

えっ⁉どういうこと⁉感じてるけど。これは思考なの?どう違うの?ってなる。

これは結構難しい。練習が必要だ。

セッション中の内容は省略するけど、自分の中にある不安や恐れというエゴが、黒々として硬くて重い塊として胸の中にあるのを、私ははっきりと感じた。それは長いことずっとそこにあって、私が自由に本当にやりたいことをやったり、危ないことをして道を外さないように見張ってた。

それはイコール危ない目に合わないように私を守っていたとも言える。だからエゴは決して悪いものではない、と先生は仰った。

だけど・・それがいると、窮屈で苦しい私。

どうしたい?どうして欲しい?

自分の全てをジャッジせずに温かく見守っている愛ある高次の自分として尋ねる。

 

もう大丈夫、一人で歩いて行ける。

今まで守ってくれてありがとう。

黒い塊に私の中から出てもらって。

私は私のアートをやっていく。

 

そう言ったら、ハイアーセルフが喜んだ。そして自然に温かい涙が溢れた。

高次の自分と繋がるというのは自分を信じることだ。

いつでもきっとそれが一番難しい。

 

よく頑張りました、と先生は言って下さった。

オメデトウ。

意識が変わったからエネルギーが変わったよ、と。

えっ?これでいいの?

そうか、気がついたから意識が変わってエネルギーが変わる、っていうことなんだね。

そこがよく分からなかった。

そして更に気づいたこと。求めたら与えられた。自動的に。

今までだって、アートに関してはいつだって与えられてきてた。

いつだってゴーサインは出ていたんだ。否定し続けてきていたのは自分だ。

 

すぐに、でもどうやって?と考えちゃう自分もいるけど、

これで行くと、いう意志を持って、

これでいいのだ~‼、と肯定して、

歩いて行く。

祝福をありがとう。

 

じゅあん先生、あの時間を共有してくださった会場の皆様に、ありがとうございました。

 

読んで下さってありがとうございます。

人は想像出来る現実を創造する―エゴの囁きにご用心! 3

エゴについてのシリーズその3。

エゴの囁きにご用心!1  感情の器ーエゴの囁きにご用心!2 感情の器―その2

「内庭~Primavera」あるがままの自分を受容する。

人は想像出来る現実を創造する。想像出来る現実しか創造出来ない、とも言える。

これはお金についてもそう。

当たり前でしょ、って思うかもしれないけど、結局人は自分が見たい現実を生きてるってことで。

ちなみにエンリケ・バリオスさんの「マラビージャ―魂の恋人」は、その辺のところを分かりやすく面白可笑しい物語として書いた名著だ。言わずもがな「アミ小さな宇宙人」シリーズの作者でもある。

だから要は、自分次第なんだよ、っていう話。

え~!違う、こんな辛いこと経験したいなんて思ってないもん!って言うかもしれない。

ワタシモソウオモッテタ。

デモ、ドウヤラソウラシイ。

 

そして人は、経験した範囲でしか物事を想像することが出来ない。

自分はそれを受け取るに値する、と何の疑いもなく心から信じている人は、難なくそれを手に入れる。

そこには何の努力も苦労も要らない。

そしてどうやら、そういう人の周りにいる人にもそれはもたらされる、ということを発見した!すごくない⁉ 伝染するんだよ~。(これは実験する価値あり、と思ってる。)

こないだそういう人を知った。

日がな一日、一見ただ遊んでいるようにしか見えない。嫌なことは一切やらない。

自分の望みに対してとっても忠実で我儘だ。まさしくヒメ!

豊かな富(お金やお金でないものも)を受け取っているのだ。彼女のパートナーは彼女と暮らすようになって以来、それまでにないくらい豊かさを享受しているそうだ。

本人は自分の存在、行動に対してこれでいいのだ~!!と心の底から思っていて1ミリも疑っていない。恐らくそこがポイント。

あるがまま、だ。

だって、え?何で疑う必要があるの?

ない、んだよね、本来。みんなそのまんまでいいし、ジャッジする必要もない。

 

でも、私達のまだ多くは、っていうか私はまだ、100パーセントそう思い切れていない、から。エゴの囁きに囚われてしまう、のだよなあ~。

それではダメ、こうすべき・・・などと言われ続けて育ってきた私(達)は、それが呪縛となって、素直に丸ごとの自分をあるがままで良しとし、何であれ宇宙がもたらす最良のモノコトに値するのだ、ということに自らブロックをかけてしまうから。

でも、もうそんな時代じゃないんだよー。ねえ~。

 

キーワードは、これでいいのだ~!!

 

毎瞬毎瞬、エゴの囁きが聞こえてきたらそう言い続けるのだ。

呪縛を解くおまじないのように。

 

これでいいのだ~!!

言ってみるとハートの辺りがなんかワクワクしない?

 

読んで下さってありがとうございます。