輪島塗という伝統工芸職人50人が、毛利家ゆかりの江戸時代の貝桶(かいおけ)に学びながら失われた漆の技を探り、「平成の貝桶」の制作に挑む番組の再放送を観た。普段はそれぞれ独立して仕事をしている職人たちが、話し合い知恵を出し合いながら江戸時代の技の再現と更にそれを超えた新しい表現に挑むドキュメンタリーだ。この貝桶での新たな挑戦は蒔絵と沈金の融合で、漆で描かれた草花の上からノミをいれて漆を削り、金粉や金箔などを埋め込み立体感を出すという試みだった。その最後の過程は、若手の女性沈金師に任せられた。これまで誰もやっていないことでしかも失敗は許されない、万が一自分が失敗したらすべてが台無しになるかもしれないという相当な重圧の中で、なかなかノミを持つ手が進まない。そこにあるのは大変な緊張感と恐れであると分かる。「気持ちに迷いや揺らぎがあるとノミが進められない。でもそこは、自分で殻を破っていかないと。」プロジェクトの棟梁のことばは、私にとって身に染みるものだった。
私は、とても怖がりだ。石橋をたたいて、下手すると叩きすぎて渡る前に壊してしまうくらいの時もあった。足踏みしてしまうときは、上手くやろうとしたりそれが自分にとって大事なことなら尚更本当は自分は上手くやれないのではないか、自分で思っていたほどには出来ない自分を知るのが怖いとき、かもしれない。番組のように大勢で進めるプロジェクトと違って、自分だけのことなら出来なかったからといって他人に迷惑がかかるわけでもない。ただ出来なかった自分がいたらそれを知り、認め、そこからまた始めればいいだけなのに。出来ない自分は格好悪い?認めたくない?誰に対して?でもこれって結局は、自分をありのまま受け入れていない?ひとの目を気にしてる?傷つくのが怖い?ってことなのかな?って考えた。
それまでの自分なんか関係なく、毎日新しい私が初めてのことに挑戦するのと同じこと。実際同じ日は一日だってない。固くなってしまった殻を破って外へ。少しでも前へ進むために。