ニキ・ド・サンファル展と断捨離

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友達に誘われてニキの展覧会を観に行ったときのこと。私にとっては思いがけず、ほぼ二十年ぶりの再会という感じであった。二十年前、初めてニキに出会ったとき私はひと目でその作品に恋をした。その自由で色彩豊かで豊満なかたちが奏でる音楽に夢中になり、「タロットガーデン」を創りあげたニキに憧れた。その時ものすごく好きで夢中になったものでも、いつしか自分でも気がつかないうちにそれをみても触れても心が動かなくなる時が来ることがある。あんなに大好きだったのに。

少し前から断捨離を始め、暇をみてはせっせとものを処分している。その時、基準にするのはこんまりさんややましたさんなどその道のプロが言っているように、それをみてときめくかどうか、ということだ。なかでもカレン・キングストンの著書は一番、私には断舎利を考えるときの指針になった。(この本はものを捨てる、ということを超えて、魂をきれいにすること・生き方について書かれたもので多くの示唆に富む良書である。)この本についてはまた別の機会に書くとして、先に述べたような状態になる場合すでにそのものの「エッセンス(本質)」を十分味わい尽くしたからである、とカレンは書いていて妙に納得した。だからあんなに恋い焦がれたものに少しもときめかなくなっていることに気が付いても、それは少しもさみしいことではなく、むしろすでに十分に愛しそのものが持っているコアのエッセンスは、もう十分に摂りこまれ自分の一部になっている、ということなのだと思う。だから、もう必要でなくなり手放しても良い状態になっている、ということなのだ。これは、ものに限らず人との関係にも言えることと思う。恋愛然り。それでも、長い年月を経ても決して色褪せないものがあり、それらは「クラシック・古典」といわれるものたちだ、とカレンは言っている。年月を超えてひとを魅了し続けるもの。後世に残るもの。

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さてニキのエッセンスは、すでに私の一部になっていて忘れていたくらいだ。ニキに夢中になっていた時間、その時若い私が欲していたものをニキの作品はたくさん与えてくれた。私はそれらに満たされ幸福だった。それは素晴らしい体験だったし、そういうものにどれだけたくさん出会えるかがそのひとの人生を豊かに形作っていくのだな、と思う。これから出会うひと・ものたちを楽しみにしたい。ニキのタロットガーデンもいつか訪れてみたい。