桃の節句~和紙で着物

3月3日は桃の節句。和紙で着物をつくってみました。桜餅と共に。

着物2

先月まだ寒い中、桜神宮の前を通り過ぎようとしたとき、思わず「花の女神様がいらっしゃる!」と気配のようなものを感じはっとして足が止まった。見ると冷たい空気のなか、そこだけぼうーっとピンク色に染まった河津桜の木が立っていた。  近づいてみるとまだほんの少ししか咲いていなかったけれども、まさしく花のドレス(着物)を纏った女神様のようだった。その時私もきっと花のドレスをつくりたいと思った。そんなわけで、せっかくの桃の節句。急ごしらえだけれど気分だけ味わいたくて、ストックしていた和紙で着物をつくってみました。

桜神宮2

こちらは桜神宮。下の写真は先週のもの。ほぼ満開になっていました。そして桜餅はもちろん美味しく食べました。もう少し本格的な花のペーパードレスにも挑戦します。

桜神宮1桜神宮3

 

Princess of Violet~すみれの王女~

すみれの女王

She Dwelt among the Untrodden Ways

 

She dwelt among the untrodden ways

Beside the springs of Dove,

A Maid whom there were none to praise

And very few to love:

A violet by a mossy stone

Half hidden from the eye!

– Fair as a star, when only one

Is shining in the sky.

She lived unknown, and few could know

When Lucy ceased to be;

But she is in her grave, and, oh,

The difference to me!

 

William Wordsworth「 Lucy Poems」より

 

人里はなれて静かに暮らす

ダウの泉の傍らで

称賛されることもなく

愛されることもなく

岩畳に咲いた一輪のスミレ

人の目をはばかるように

星のような清楚な姿は

ひそかな輝きを放っていた

人知れず生きたルーシーは

誰も知らないままに死んだ

彼女は墓の中で眠る

私にとってかけがいのない人

壺齋散人 訳

この詩は、ギリシア神話のスミレにされた娘イオの物語を彷彿とさせます。5花弁の花を持つスミレは夜空に小さく美しく光る星をイメージさせます。「すみれの王女」と名付けました。

鏡とナルキッソス

鏡の中に映る自分をはじめて意識したとはっきり思い出せるのは、母の三面鏡のなかである。母の化粧品を興味本位でながめ、そっと自分の顔にさしてすましている自分の顔。ある日そのいたずらを見つかって母に叱られたが、その後もひとりでそっと母の香水や白粉の匂いを嗅ぎながらその三面鏡のなかの自分を覗き込んでいたことを覚えている。何を思ってみていたのだろう、でも自分というものを意識した頃だったのではないかと思う。

鏡は、これまでも作品の中で度々使ってきた。鏡の向こうの世界、はもうひとつの世界。鏡はその境界。ギリシア神話の「ナルキッソスとエコー」もまた、言ってみれば泉が鏡の役割をしている。ナルキッソスは泉に映った自分の姿に恋をし、触れようとすると消えてしまうその姿に狂おしく焦がれた末に、それが決して触れることの出来ない自分自身であることを知り命は果てる。自分の姿というものは自分のものでありながらも決して自分で見ることが出来ない。子供の頃それを漠然と不思議に思ったことがある。鏡の中の自分は、鏡像に過ぎない。叶わない思いに囚われて最後は水仙に化身してしまうナルキッソス。「Error」をテーマにしたブックアートの展覧会への出品作として、今このナルキッソスの世界に取り組んでいる。何かに向かって取り組み始めるとあちこちでキーワードやヒントになるものを見せられる。今日制作中ラジオからは突然「ミラーマン」が流れてきて笑ってしまった。鏡には違いないのだけど・・・。

narポンペイのフレスコ画「ナルキッソス」