銀河観音と出会う2~おかえり私~

銀河観音と出会う1 はこちら。その銀河観音に出会ったとき、私は全くその画を買うつもりなどなかった。欲しいと思ったわけでもない。勧められたわけでもない。でも気がついたら私のもとに来ることになっていた。びっくりだ。

そもそも言った通り、あまりにも美しすぎてちゃんと見ることが出来なかったし、来てもらうには相応しいような住まいでもないという思いもあった。実際のお値段だって決断するには勇気のいる価格だ。普段だったら、というかこれまでの私だったら買わなかっただろう。

でもなんだか気がついたらそういうことになっていたとしか説明できない。

それで実は買うことになってしまってから、買ってしまったんだ、どうしよう?と私のアタマの中であれこれ言う声が始まった。

でもこれも、そういう(高価な、美しい、素敵な、とか素晴らしく価値のある良い)ものに自分は値しない、という制限だということに気づいた。

自分のペイできる範囲の最高は求めても、それ以上は最初から望むことさえしない、だってそれ以上いいものなんて思いつきもしないんだから。ゲンジツテキデナイから。

そもそも現実ってなに?ということもあるけど、まずは自分のアタマで考える最高のモノ・コトでさえ、制限でしかないってこと。そして、こういうのもう本当にやめよう、と思った。宇宙が与えてくれるものは想像を遥かに超えているんだから。

私の銀河観音は目を伏せている、半眼のように。どうしてだろうと思ってその表情をよく眺めて考えた。そしてわかった!

目を伏せているのは自分の内面をみているから。彼女は自由が好き。内奥にある本当の自分と繋がって遊んでいる。だから決して孤独ではない。だってその時創造の喜び・愛=宇宙は果てしないから。

彼女はヒメだ。子どものような純粋さを持っている。決して女神や聖母のようにはなれないけど。

そういう風になりたいと思って人と比べ、そうなれない自分に落ち込むばかりだった。今だって気を付けていないとエゴの囁きを聴いてしまいそうになる。でも、どんなにがんばってみたってなれっこない。だってエネルギーの性質が違うんだから。いい悪いではない。そもそも単に性質が違うだけ。そう気がついたらなんだ、そうだったのか~ってすごく楽になった。もう本当にムリは効かない。時代的にも。

そして思った。あるがままの自分で、あんまり頑張ることなく自然にいたら、みんなもっとずっと幸せになれるんじゃないかな。そんな人が増えたら世界はもっと平和になるに違いない。

今が苦しい人もいいんだよ。絶対大丈夫、だってみんなが通る道。だから大丈夫。

読んで下さってありがとうございます。